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五階百貨店の謎に挑む 日本橋で昭和30年代露店博 〜 誤解の五階百貨店 〜 [イベント]

◆建物を通して地域の歴史を子供たちに学んでもらおうと、不動産事業のNextCreation(大阪市東住吉区、竹中陽子社長)などが、2019年12月7、8の両日、日本橋名物の五階百貨店で、「昭和30年代露店博 〜 誤解の五階百貨店 〜」を開いている。会場には焼芋を販売する露店も出店して、説明を聞いた子供たちに振る舞っていた。

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子供たちに五階百貨店を説明する担当者


 五階百貨店の歴史や日本橋の街の成り立ちを知ってもらおう、と周辺の小学校などにチラシを配って、来場を呼びかけた。
 建物1階に設けられた展示コーナーには、明治期に日本橋に建てられ、五階百貨店の名前の由来ともなった5層の眺望閣の写真から、空襲で焼け野原となった日本橋あたりの航空写真、昭和30年代の家電品や子供たちの遊びなどがパネルで紹介されている。

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今の五階百貨店の建物

 今の五階百貨店の3階建ての建物が建てられたのは、1964(昭和39)年で、それ以前には、更地にトタン屋根の下で戸板に商品を並べて商売をしていた時期もあったという。1955(昭和30)年頃の賃料は1畳半の広さで、1日当たり80円だった。店舗は今も昔も1階だけで、そこに48店舗がひしめいていた。2階以上は住居。

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 五階百貨店という名前が付いたのは明治時代。1888(明治21)年に5階建、高さ31メートルの展望台を備えた眺望閣が建てられ、珍しさからたくさんの人で賑わった。そうした人たちを当て込んで、周りに多くの露店が出来たが、それを総称して五階百貨店と呼ぶようになった。
 ところが1904(明治37)年に眺望閣が取り壊されると、露店は移転を繰り返して、太平洋戦争後に今の五階百貨店あたりに定着したという。
日本橋の歴史からお話

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眺望閣

 会場にやって来た子供たちは、担当者が説明する今の五階百貨店が出来るまでの話しや電気の街・日本橋の歴史に耳を傾けていた。
 併せて設けられた露店では雑貨、おもちゃ、焼芋などが販売され、戦後間もない頃の五階百貨店の様子も再現していた。

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露店の再現も

 主催者によると「この露店博は今回が第1回目で、これからも大阪の色んな建物をテーマに昭和の時代を振り返ってみたい」と話していた。


[NextCreation オフィシャルサイト]
http://n-creation.co.jp/company/








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